悩む人間

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ルッキズムはなくならないのか?外見差別への対抗策を考える(後半)

ルッキズムの原因のひとつには、人のもつ心理的バイアス(脳のクセ)なども関係していると考えられます。

今回は、

へ触れていきたいと思います。

 

ルッキズムはなくならないのか

人のもつ認知方略~ステレオタイプ

ルッキズムがなぜなくならないのかについて、人が持つ心理的なバイアスを考察する前に、人が持つ認知方略の一つである「ステレオタイプ」についてお話します。

人は様々な場所でさまざまな生き物(人、犬、虫など)や出来事に遭遇します。また、現在では家にいながらも、ネットを通じて多くの情報と出会う経験をします。

しかし、そのたびに、1から「それが何であるか」「それはどういうことなのか」と考えていれば、時間は無限に必要になり、仕事や勉強、友人や家族との交流など、普段の生活に支障が出てしまいます。

そのため、自分にとって重要だと思われることや少し興味があることであれば、簡単に調べたり、考えたりすることはあると思いますが、見たもの全てに対して「それが何であるか」を調べたりはせず、調べることもできません。

私たちは、いつか必ず死に至る限りのある生命ですから、自分にとって大切である(であろう)ものを効率よく抜き出して、それが何であるのかを効率よく認知しなければなりません。

そこで必要となり、備わった機能がステレオタイプです。

ステレオタイプとは、知らないことを知らないまま、自分の知識に結びつけて、「これは〇〇である」と思い込むことを指し、レッテル、偏見、差別とも言われます。

良く言えば、物事を効率よく理解(処理)するために使用する賢い認知方略とも言えますが、「これは〇〇である」と安易に判断することは、誤解や間違いを招く大きな問題点にもなります。

例えば、アフリカの先住民について、上半身は裸で腰に巻物を身に着けているというイメージを持つ人がいるかもしれませんが、現在では多くの先住民が私たちと同じようなTシャツやズボンを着用しており、スマホも普及しています。

 

ルッキズムを生み出すハロー効果

少々前置きが長くなりましたが、ステレオタイプを形成する一因として、人が持つ心理的バイアスである「ハロー効果」があります。

ハロー効果とは、その人や物がもつ顕著な特徴に目が行き、他の特徴への関心や評価が歪められる現象です。例えば、「美人は性格がいい」というのがまさにこれに当てはまります。

美の基準に合致した人という特徴を「容姿が良い」という評価で受け止め、「容姿が良い」=「性格もいい」「仕事もできる」と、全ての評価に当てはめて考えます。これも一種の効率化と言えます。

そのため、無条件に働くこの思考から、ステレオタイプが生まれ、「美人は性格がいい」といった誤った概念が形成されていきます。

このような効率化を行う認知バイアスの働きにより、人はあまり考えずに無意識に差別的な考えに陥ってしまいます。そのため、ルッキズムが完全になくなることは、難しいのではないかと思います。

しかし、少数でも意識的に差別に目を向けて考えるようになれば、その差別的な考え方に対して、「モノ申す」声が取り上げられ、表面化されることによって、少しずつ無意識的な差別や偏見を変えていくことができます。

女性が選挙に参加できるのも、働けるのも、結婚の自由も性別に関して、私たちは「モノ申す」声を上げることで社会を変化させてきました。

 

ここで誤解のないように述べておきますが、美人は性格が悪いと言いたいのではなく、容姿と性格は別の特徴であるということです。

そして、今述べた話こそがルッキズム批判への誤った批判を生み出す源になっているようです。

 

ルッキズム批判への間違った批判

しばしば、コメンテーターやルッキズム主義の方たちが、的外れなルッキズム批判への批判をされているのを目にします。例えば、以下のようなことです。

  • 「美人を悪者にするな」
  • 「美人は(も)努力している」
  • 「オリンピック選手に『遺伝なんだから評価されるのはおかしい』っていってるのと同じ」
  • 「そもそも何が悪いの?」

これらは、そもそもルッキズムの定義が分かっていないか、又は間違っている、ルッキズムが内包する論点をすり替えている、又は論点が理解されていないということに他ならないと思います。

こういった質問には、少々皮肉交じりに回答させていただきます。

  • 「美人を悪者にするな」

ルッキズムは、容姿の評価だけで理不尽な差別的扱いをされることを問題にしています。美人が悪い、良いという問題ではありません。

  • 「美人は(も)努力している」

ルッキズムは、容姿の評価だけで理不尽な差別的扱いをされることを問題にしています。美人の努力の話ではありません。

  • 「オリンピック選手に『遺伝なんだから評価されるのはおかしい』っていってるのと同じ」

ルッキズムは、容姿の評価だけで理不尽な差別的扱いをされることを問題にしています。容姿の良さを批判しているわけでも、評価するなといっているわけでもありません。

そもそも「美の基準」は認識的につくられた概念ですが、運動神経は、概念というより神経系の話です。

  • 「そもそも何が悪いの?」

ルッキズムの問題点を挙げている文献や論文を確認して学んでみてください。また、あなたが事故や老化で容姿が変わった時、差別されることが当たり前であるといえるか考えてください。

それ以外にも、「女性だってぶすな男を差別するだろ」というような意見も多々見受けられます。もちろん、ルッキズムは男女関係なく問題があります。

なぜなら、ルッキズムとは、容姿の評価だけで理不尽な差別的扱いをされることを問題にしているからです、ね。

外見差別への対抗策

それではここで、外見差別的な見方(ルッキズム)へ私たちはどのように対抗できるのかについて考えた意見を述べたいと思います。

 

私のなかのルッキズムを測る

私は、ルッキズムを批判する立場ですが、私の中にも意識していない無意識のルッキズムがあることは確かです。しかもそれは、時として意識することができても抵抗することが難しい気持ちにさせられることもあります。

それでも、「自分はどのような美の基準をもち、どのように差別してしまうのか」を自己分析することは、とても重要です。

なぜなら、自分の価値観を批判するということは、少しずつ社会の価値観を変えていくことにつながっていると思うからです。

 

社会集団から「私」と「あなた」へ

以下に、文を校正しました。

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容姿差別は社会の中での深刻な問題です。自分が無関係だと考えることは非常に難しいでしょう。

しかしながら、私たちは社会の一部でありながらも、個人としての小さな世界でしか生きられない存在でもあります。これが、ルッキズムへの抵抗を試みる場所につながります。

身近な人や物事、出来事に焦点を当て、社会ではなく「私」という周囲に意識を向けることで、容姿だけでない多様な価値観や感情を強く感じながら生きることができると思います。

しかし、会社や学校などでルッキズムの影響に遭遇することもあるでしょう。

そのような状況でも、「あの人」がルッキズム的な発言や行動をすることに注目するのではなく、「私」と関わりを持つ「あなた」や「この仕事」といった今の関係に焦点を当ててみてください。

 

「誰もが素晴らしい」は事実、事実と差別は冷静に見分ける

世の中には、当たり前になりすぎて差別ともされてこなかったために、差別をしていることや差別的な考え方をもっていることに気づかない人がたくさんいます。

「みんながそう思っている」ということに疑問をもてば、「お前が弱いからだ」とか「お前が間違っているんだ」と言う人が大勢います。

しかし、そこには個人的な差別的思考や成育歴が関係しているものです。つまり、「私がそう思うからそうなんだ」ということを押し付けているに過ぎないということです。

あなたは、どんなあなたでも楽しく、あなたらしく生きて、それを認められるべきです。

そのような社会を作るために、自分の中にもある差別的な考え方に目を向けながら、ルッキズムへの批判的な視点をもってルッキズムに対抗してみてください。