悩む人間

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「リスカ」とは?なぜしてしまうのか~自傷行為の心理的背景やリスカ跡のある方への接し方~

 

ふと、何かの機会に「リストカット」の傷跡が残る方を見たことはありませんか。

そのとき、みなさんはどんなことを考えたでしょうか。

「メンヘラ」「かまってちゃん」「痛々しい」など、否定的な気持ちを抱く方も多いようです。

今回は、10代の頃にリストカットの経験がある筆者が、改めてリストカットという行為自傷行為をしてしまう背景リスカ跡のある方への接し方について考察します。

最後に筆者の思い出やリストカットへの考え方として、執筆後記をまとめています。よろしければそちらも読んでみてください。

 

リストカット」とは?

手首 (wrist) と切る (cut)を組み合わせた造語であるリストカット

自分を傷つける行為である「自傷行為」のひとつです。

自傷行為には、腕を切るアームカットや顔を切るフェイスカット、根性焼き、 モノを壊す、壁を殴る、皮膚を掻きむしる、髪を抜くなど様々な行為が該当します。

皮膚を掻きむしる、髪を抜くなどは、一見するとただの癖であるように感じられるかと思いますが、自分を傷つけるという視点から自傷行為とされています。

自傷行為の大半は、一度きりのものではなく繰り返しおこなわれます。その背景には、悩みや葛藤、ストレスなど心理的な背景が存在していることが考えられます。

 

自傷行為の出現率・年齢層

ここでは、山口,窪田,須部,杉山,他が2013年に発行した『自傷行為の実態について』の情報に基づいて、自傷行為の出現率と年齢について取り上げてみます。

自傷行為が見られる割合は、高校、中学校、小学校の順で高くなっており、特に思春期の若年期にかけて多く見られるという。また、多くの研究事例から、自傷が始まった年齢は12歳前後で、自傷行為が最も多く見られる時期は、13歳から19歳の成人初期だと述べています。

また、松本『自傷の背景とプロセス』では、これまでのアンケート調査から中学生や高校生の1割程度に自傷が見られると報告されています。

 

このことから、若者の間で自傷行為が多く見られることが分かっていますが、自傷は若者に限定されるものではなく、高齢期にも見られるものであるといいます。

 

自傷行為」なぜしてしまうのか~心の痛み止め~

外的な要因

外的な要因としてあげられるのは、過剰な支配や否定、理不尽さに耐えるための手段としての働きです。親の支配・理不尽な要求、クラスメイトからのいじめ・仲間外れ、恋人からの否定的な態度など様々な人間関係が関係していることが示唆されます。

例えば、親が絶対的な存在として「口答えをするな」「黙って親に従え」という価値観をもっているヒトである場合、まだ自立することができない子どもは、口では反発したとしても衣食住や学校のことを考えれば、親の言い分に従わざるを得ない状況になります。

そのため、親への服従、家への囚われというジレンマに陥ります。そういった目に見えない心理的なストレス(痛み)を身体的な傷への痛みに置き換えているのではないかと考えられます。

 

内的な要因

内的な要因としては、衝動性依存が考えられます。

まず、衝動性について。自傷行為の大半には、計画性が見られない突発的な衝動制御の困難さが見られるといいます。そのため、認知的な対応には限界があることが示唆されており、偏桃体の興奮を抑えるような脳科学的な問題についても考えられています。

自傷行為をしてしまう本人が「やめなきゃ!」と思っていても、どうにもコントロールできない、コントロールの不具合であるということですね。

今までの成育環境から、衝動を制御する前頭前野のネットワークがうまく形成されなかったことが考えられます。

そもそも、中学生や高校生は、前頭前野の発達段階であるともいえるため、コントロールが難しいことも当然なのではないかと思います。

 

自傷行為の依存について、以下のような生物学的な物質の側面からも検討されています。

自傷行為は身体に痛みを与え,そのことでストレスを得る。ところで,ストレスや恐怖はオピオイドの分泌を活性化するといわれ,この物質は依存性が高く,自傷行為との関連が指摘されている。また,依存的自傷者では,自傷行為後には脳内モルヒネ様物質のエンケファリンの血中濃度が上昇するという報告もある。

このことから、自傷行為は生物学的な依存のメカニズムの側面や、ストレス軽減の手段として一定の効果をもつことが示唆されており、環境に適応するための手段であるといえるのではないかとも考えられます。

 

リスカ跡のある方への接し方~小さな心理的サポート~

冷静に肯定的な面を捉える

複数の傷跡を目にすれば、誰だって内心は驚いたりたじろいでしまうのは自然な反応です。しかし、そのような気持ちを表面に出すことはやめましょう。

また、過剰に同情したり心配するのも間違った対応です。

もちろん、「親が産んでくれた大切な身体に傷をつけるなんて」といった自論や説教、「そんなことしちゃダメ」「もうしないって約束して」といった安易な注意や禁止も絶対にしないでください。

自傷行為の傷は、たまたまできた傷でも、ただの怪我ではありません。

松本は、『自傷行為の理解と援助』(2012)のなかで、

彼らが克服すべき一番の問題は「自分を傷つけること」ではない,最も重大な問題は,「正直な気持ちを偽って,誰にも助けを求めずにつらい状況に過剰適応すること」なのである。

として、自傷した若者との関係性を築くために,最初の面接において自傷行為の肯定的側面をとりあげて話し合うのはよい戦略といえようと述べています。

私は、この自傷行為は過剰適応であるとする捉え方こそが重要であると考えます。適応するためにできた傷は、その人の不器用ながら一生懸命生きている努力の証です。

そのことを踏まえながら、頑張って生きている人なのだと肯定的に捉えた接し方を心がけてください。

そうすれば自ずと、否定や説教などできなくなります。

過剰な同情や心配でもなく、「生きるのって大変だよね。お互いに頑張ろうね」「つらいときは、支えあおうね」「困ったことがあれば話し合おう」「いま体調はどうなの?」といった、相互のコミュニケーションが適切な接し方であると考えます。

 

執筆者後記……「リストカット」と神秘性~ヒトらしい傷跡~

コンビニのレジで並んでいたときのこと、目の前の女性が後ろで腕組してハイボール1本持って並んでいた。とても色の白い女性でした。

ふと、気になったのは、その白い腕にある無数の切り傷。おそらくリストカットの跡のよう。

傷ついた皮膚が新しくなると、古い皮膚より新しい色(白っぽい)をして修復される。

だから、私のように色黒の皮膚だと、切った後に修復された傷跡がやたらに目立つ。

しかし、この女性の場合、よく見なければ傷がついていることに気づけないほど。なんだか、羨ましいなぁと思いながら、昔の記憶がふと蘇る。

 

若い頃、表参道のとある店でバイトしていた頃、同い歳の女性従業員が私の腕を見て「何これ?リスカ?」と言った。

私は隠すのも悔しいけれど、関わられるのも嫌なので、「そうではない」と言って適当な理由をつけた。

彼女は半笑いしながら、「なんだそうなんだ、メンヘラっぽいし、してんのかと思った」と言った。

私は言い返しもせず、悔しいなぁと思っただけだった。

 

自分が自分を傷つける。とても興味深い心理的問題で、とても複雑な話である。

死ぬことを望んでしまう「希死念慮」という心理は、脳のどのような原理でどのような物資のために引き起こされているか、いまだに確かではない。

いくつかの仮説の中に、細胞があらかじめもっている死の仕組み「アポトーシス」が関係しているのではないかといわれている。

 

しかし、いつか希死念慮の原理が完全に分かり、死を回避させる薬ができたとしても、きっと自殺はなくならないと思う。抗うつ薬でうつが酷くなったりするのと同じ。

物質を整えるのも物質であり、物質は思考や感情でも変化する。そこが生命の面白く神秘的なところだ。

 

自分を傷つけた傷には、ヒトらしい生きる神秘があると、私はそんな風に思う。

 

 

◆参考文献・引用文献

松本俊彦,2009,自傷の背景とプロセス

松本俊彦,2012,自傷行為の理解と援助

山口 豊,窪田辰政,須部宗生,杉山三七男,下川 学,横沢民男,松本俊彦,2013,自傷行為の実態について